みんな忘れる

私は33年間、生まれてからずっと東京という街に住んでいます。
年を重ねる度に、どんどん街が変わって行く様子を、私も友人もみんな見ています。でも、昔、通学路近くの空き地だった場所にいちじくの木があった事を、今では誰も覚えていません。記憶は私の中に収まったまま、誰とも共有できません。写真を撮っておけば良かったと思いますが、その時の私には思いもつかない事です。すごいスピードで変わり続ける街なので仕方ないのかもしれません。みんな、自分の家や近しい人々に関係しない事は忘れてしまうのです。
福島県双葉町に、かつて国内外から年に20万人の来場者を迎えたバラ園がありました。美しい花園には、700種のバラや樹木が手入れをされて植わっていました。園長の岡田勝秀さんは40年間一日も休まずに花園を作ってきました。自然・緑・空間を取り入れ落ち着いた雰囲気の「森に沈むバラ園」を完成させたいという思いがありました。
しかし2011年3月、地震が起きて、原発から7キロ地点にあった双葉バラ園は、突然誰も入ることのできないバラ園になってしまいました。
2013年6月、私は岡田さんと一緒にバラ園に足を踏み入れました。震災前の写真を見せて貰ってはいたのですが、それを思い起こせるような景色はどこにもありませんでした。品種改良されたバラはすべて枯れていて、野ばらだけが育ち、樹を覆っていました。カラスがあちらこちらに巣を作り、バラに糞を落とし、猪がみみずを食べるために土を掘り起こし、落ちた松ぼっくりから新しく木々が生え、人が歩けるような道はありませんでした。
岡田さんは「あと少ししたら、もっと生い茂っちゃってね、もう中に入ることさえできなくなるから、会いにきたのよ。」と
言いました。「咲いてる花は、きっとあるはずだから。」
地震から2年半、記憶が薄れていくのは人間ばかりではなく、動物や植物も、人と共存していた記憶がだんだん薄れていくようでした。かつて手入れをされていた植物が野生に戻って、狂うように伸びて、もしくは枯れて死んでいる様子は、もう人間なんて忘れたよと言っているようでした。責めているような、悲しんでいるような、怒っているような複雑な感情をぶつけられている気がしました。
バラたちは、だれにも触ってもらえず、からからに枯れてはいたけれど、それでもここに希望があるかのように一生懸命花を咲かせて、小さな芽を出し、匂いを放っていました。
「あのね、だいじょうぶ。わたし、帰ってくるの待っているからね。」
まるでそう言っているかのようでした。それでも、どんどん岡田さんへの何かが薄まっていくように見えました。岡田さんからだって記憶はどんどん薄まっていってしまう。日本中の、世界中の生きている人間からも記憶は薄まってしまう。
みんな忘れてしまう、それは仕方ない事だけれど、今残さなければならないものがある。
小さい頃、私には思いを写すことができなかった。でも今はそれができるなら、生きようとしているバラの姿を写真に焼き付けて、ここにはまだ生きていこうとしている命があるのだと、美しいバラ園がかつてあったんだと思いを留めておきたい。
希望をできる限り持って。

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33.jpg今日も明日もあさっ薔薇園喪失_みんな忘れるても
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