あなたが目を閉じるとき私の躰を思い出すでしょう
2020年 キヤノンギャラリー銀座写真展

「建築の葬式」という聞き馴染みのない、
けれども随分としっくりくる文字組みを 聞いたとき
私はすこし安堵した。

最近は特に、失うことが当たり前で、立ち止まりにくい世の中だと
どこか窮屈に感じていたからだと思う。
私自身も町を撮り、消えていく景色を捉えていく中で、
喪失との向き合い方を同じような想いで眺めていたのだと思う。

けれどもその想いは、写真に書き出されても、
すでに過去として飲み込んでしまったあと のようにも考えることがあった。

そんな中で「建築の葬式」は現在進行のいとなみだった。

建築は決して生きていないし、永遠にあるものでもない。
ただ、自分の生活で身を委ねることの割合はとても大きい。
建物の、その大きな空洞を、私達はエゴで埋めていき、居心地をよくする。
そしてそこに住んだり、通ったり、思いだしたりと、自分の居場所をつくっていく。
自分の居場所をつくることは、自分をつくることでもあるように思う。

しかし、解体されるとき何もできない、何もしないことがほとんどだ。
さようならもこんにちはもなく、記憶から消えてしまう場所は多くある。
私はこの「建築の葬式」を建造物の立場から写すことで
自分のそんな悲しい空白をしっかり埋められるような気がした。
そして、心の中だけでもきちんと想うことができたらいいと思った。

今回、建物の外観や詳細を写真で表さないよう心がけた。
かたちは人の想いと記憶で作り出せばいい、実像がけっしてリアルとは言いきれない。
この場所を知らない人であっても、各々に潜む大切な場所へ 対峙するきっかけとなったらいいと思った。

写真はきっかけとなり、絶対的なリアルは記憶に存在する。
写真表現という振り幅の大きなものと関わりながら、
私はそう願うのだ。


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